地理的要因から経済活動を研究する。というひたすら〜に難しそうな授業を取った。
中身は単純。導入は、自由席の映画館ではどこの席から埋まっていくと思いますか?という話だった。なぜ「たこ」の消費は瀬戸内で多いのか?それについて考察するようなものだった。

その講義で聞いた話。

私たちは現実を「見ている」のではなく「みなしている」
だからこそ
「自分のものの見方」を設定しない限り世の中は見えてこない。
そして
「自分のものの見方」に固執する限り世の中は見えてこない。

分かりきってることだけど、実行するのは容易ではないと感じる。
例えば何かを解決するプロセス。
自分で確たる方法を考える必要があることは間違いないが集団でそれを推しすぎてもいけない。譲りすぎてもいけない。
全てはバランス。

前もこんなこと書いた気がするな^^;
仕事と遊び、自分の時間と大切な人との時間、攻めと守り、優しさときびしさ。
バランスが大切なことは数多い。むしろ社会に生きてる私たちにとってバランスが不必要な場面なぞおよそ無いのかもしれない。

自分は気を使いすぎな気がする。
正確に言うと、そう言われることが多い。
相手に合わせるだとか協調性が強いだとか言われると確かにそう思う節もある。
尽くすタイプといえば響きはよいが、男としては甚だ頼りがいが無いと言われている気もする。他に優しくすることで、優しく出来てる俺ってすごくない?と自己陶酔する人がいると聞くが自分もその類なのであろう。

相手に気づいて欲しいという「したたかな優しさ」が自分にはいくらかある気がする。優しいでしょ?という押し付けがましさがどこかにあるから、優しすぎるとか気を使いすぎてるといわれるのだと思う。
まだまだ身の丈にあっていない優しさを提供しているとでも言うべきか。
身の丈にあった優しさに変える気はない。
今の優しさに合った身の丈になるのみ。

やはり私の本性は高慢なようだ 笑

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